From TARO整体院 馬場太郎
可児のスタバから、、、
今日も治療院は満員御礼です。
14人の患者さんが来院してくださいます。
1日10人以上みて当たり前の日が続いていますが
介護施設勤務時代だと考えられないですね。
僕はクリニックリハビリ科でも
勤務していたとがあるので
3単位(一時間)も治療にかけていたなんて
今では信じられません。
そう考えると治療のスピードも
早くなったもんです。
今日は僕自身の
個人的な話をさせてください。
「なぜ臨床経験10年目で独立開業したのか?」についてです。
接骨院修行時代では
早い段階で臨床経験の機会を得ました。
そこで、初めて痛みを主訴として
訴えられる患者さんを担当させてもらいました。
確か肩関節周囲炎の
患者さんだったと思います。
もちろん、はじめて担当させていただく症例だったので
主訴である挙上時の痛みは全く変わらず、、、
治療の度に流れる気まずい空気、、、
それと患者さんに
治らない言い訳ばかりをしている自分、、、
この堪え難い時間と
患者さんに申し訳ない気持ち…
自分自身への悔しさなど…
こんな気持ちになったのは
正直、臨床に出てから初めてでした。
それが僕の治療家としての
転機だったと思います。
強烈なやる理由をここで得ました
それまではもちろん、
痛みを訴える患者さんを
担当させてもらう事はもちろんありましたが
痛みがメインではなく、
痛みがあってもうまく代償していただくことで
問題点としてはクリアできていました。
しかし、接骨院では痛みを取る事が目的で
痛みを取れないと、
何も進まない、、、
もちろん痛みが緩和できないので
施術計画は進まず、
上司にもそれを指摘される日々…
そこれかというもの、
どうやればその患者さんの痛みを
緩和できるのかを、
ずっと考えていました。
書籍を読みあさるのはもちろん
良さそうのセミナーにも
ほとんど全て参加しはじめてたのも
この頃からです。
ほとんど毎週セミナーに
行くようになっていたので
休みらしい休みはありませんでした。
そんな日々を臨床1年目の夏頃からずっと
続けていました、、、
【あなたに伝えたい事】
正直に言って僕の独立しようと思った理由は不純です。
きっかけをくれたのは
患者さんへの申し訳なさと
自分自身の不甲斐なさです、、、
あとは、理由は痛みを訴えられる患者さんに
結果を出ない自分に対して
「お前にはまだ無理だ、、、」
と上司に言われていたからです。
(そんな気がしていました)
担当させてもらっている患者さんは
絶対に痛みを
何とかしてあげたいと思っていました。
それでも、結果の出せない自分。
このギャップがいやでいやで
本当にもう死ぬくらいいやでした…
それがたまりにたまって爆発した感じでしょうか?
すごく負けず嫌いな僕は
なんとなく頭ごなしに
痛みをとることに終始しているのと
決めつけられていることに
すごく不満を感じていました。(そう思い込んでいました)
自分のこともなんだか好きになれなかったです…
今思うと、経験こそセラピストとして
必要な要素なんだと思います、、、
しかし当時の僕は
「経験年数とかで決めんな!見返してやんねん!」
と心の中でずっと思っていました
ですが実際は全然結果を出せずに
患者さんにはいつもいつも
いまいち満足していただけない、、、
痛みを訴えられているのに
自分では何もしてあげられない。
できない自分がいやだったんです。
他の人はどうでも良いけど
僕はしっかりと患者さんに
セラピストとして認めてもらいたい
患者さん役に立てるセラピストでありたい。
しかも自分の基準で、、、
そういった思いが人よりも強く
なんでもすぐに行動に移していました。
その最終的な形が
自分の腕で食っていくこと、、、
つまり「痛み専門で独立開業して、治療院を繁盛させること」
だったのです。
自分の疼痛緩和テクニックで
患者さんの痛みを改善するのはもちろん、
満足してもらいリピーターとなっていただく。
どこに行っても治らなかった
患者さんの一つの選択肢として
自分を選んでいただく。
価値のある治療だと認められて
それに対しての報酬をいただく。
この形を実現することだったのです、、、
もちろん、家族、職場の上司などからは
反対されたのは言うまでもありません、、、
でも、それでも実現したかったのです。
あの時の強烈な
「申し訳なさ」や「負けず嫌い」
「認めてもらいたい」といった気持ちが、
開業初月から大きく結果を出すことができた理由に
間違いはありません。
馬場太郎